こんにちは。2児のパパです。(初投稿)
5月に二人目が生まれて、絶賛育児中です。
児童養護施設で仕事をして数年、私は耳を疑う言葉をたくさん聞いてきました。
- 「子どもが可愛く思えない」
- 「子育てが楽しいと思えない」
- 「言うこと聞かないから家を出す」
施設に預ける保護者は口を揃えて同じようなことを言います。
入職当初、何の知識もない私は、
親のくせに我が子に対してなんでそんなことを言うのか。そもそもなんで産んだんだ!
と言う怒りと切なさを感じたことを覚えています。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、私自身の子育てを通じて感じたことは、
待って、めちゃくちゃ大変なんですけど、、、
子育ては楽しいことばかりじゃない
ということを突き付けられました。
私が本当の意味で父親になるまで
私は、結婚して3年経った頃に父親になりました。
しかし、夢に見てきた結婚生活、子育て生活は、幸せに満ち溢れていた反面、辛いことや大変なことも多くありました。
今考えてみると、これから起こることに対して何の準備もなく、
ただ父親になっただけ、、、
父親らしいことは何もしていなかった。
と今では感じます。
妻は妊娠期間中から出産まで、一人でたくさんのことを調べ、私の役割でさえも、教えてくれました。私は言われるがままに動いてきただけでした。
妻だけが頑張り、何の用意もなく父親になったのです。
私はただただ、生まれてくる子を観客のように楽しみにしていただけだと痛感しました。
どんどん母親として成長していく妻に対して尊敬と共にモヤモヤとした気持ちも感じ始めました。
これまで妻と二人で過ごしていた時間はみるみるなくなり、私は子どもが生まれたことで、大好きだった筋トレやランニングの時間を自由に出来なくなったことに嘆き、日常的に飲んでいたお酒や、欲しかった洋服も、すべて我慢する生活になったことが受け入れられませんでした。
しかし、よく考えてみればそれは自分のことしか考えていなかった。
そんな中、とあるドラマでアフロの青年が言ったことが私の心に突き刺さりました。
「問題なのは、なにも変わってないあなた(父親)の方です。母親が変わるのは当たり前です。環境が変わるのだから。でも、あなたは変わらなきゃいけなかったのに、なにも変わっていない」
引用:ミステリーという勿れ
というセリフです。これはこの先も心に留めておきたいセリフでした。
流石に私自身何か変えなければと思い、まず出来ることから始めました。その結果、たくさんのメリットが生まれたことも事実です。
例えば
①ジム通いをやめた
- 月1万払っていたジム会費が浮いた。年間12万円のプラス。交通費やトレーニング中の飲み物等考えるともう少しプラスかな。
- 子どもを抱っこしながらスクワット等することで、子どもを寝かせることができた。
②ランニングは早朝に切り替えた
- 朝は正直大変ですが、かなり痩せます。代謝が上がりました。
- 夜早く寝るようになった。無駄酒せず済むようになった。
私なりの感想
正直、今までやってたことを切り替えるのは大変でしたが、我慢ということだけではなく、メリットもある。ようは全部自分の捉え方次第だな。
ということです。
そう考えるようになってから、少しずつ父親としての本当の自覚が芽生えた気がします。
こうして妻にも受け入れてもらえることが増え、今では日中にランニングに行かせてくれることも増えました。
こちらの気持ちが伝わったからこそ、寛容にしてくれているのだと思っています。
子育てが辛い方々への理解
冒頭で述べたように、最初は子どもが可愛く思えない、子育てが楽しいと思えないと言う発言にはびっくりしました。
しかし、自分で子育てに参加していく中で、こうも思っていました。
そう思ってしまう親の気持ち、わからんでもないな、、
※決して虐待を肯定する意味ではありません。
誤解のないようにいうと、
子育てはとても大変なことで、拠り所がない人にとっては苦痛に感じてしまうことがたくさんある。
ということです。
本当に子どもが大好きで子育てが苦にならない。
という方がいることも事実ですが、その反対もまたあることなのです。
私自身、子育てをする中で当時感じていたことは、
- 妊娠、出産への理解
- 夜泣き
- 子どもファーストな生活
- お金がかかる
です。正直今となってはじゃあなんで子どもなんて欲しかったんだと突っ込みたくなる。
けど、そこまでのイメージがなかった。子ども欲しい!それだけの気持ちだったのです。それによって生活がガラッと変わることなんて、想像もしてなかったんです。甘すぎますよね。笑
そんなの当たり前じゃん!!
なんて言葉が聞こえてきそうですが、当時の私にはそれが辛くて仕方ありませんでした。
私自身は一度も暴力をしたり、もう子育てやめたいと思ったことは一度もなく、今では子育てが非常に楽しく、自分のことを我慢することになんの抵抗もないですが、当時の気持ちを思い出すと、
そう思ってしまう人たちがいてもおかしくはない。責めることはできない。
と感じました。
では、そういった人たちは、なぜ一線を超えてしまう(虐待をする)のか。
子育てを辛いと感じている方々の肩身が狭くならないように、少しでも理解に繋がるご説明ができたらと思います。
一線を超えてしまう人とそうでない人の違い
私がこれまで聞いてきた中で一線を超えてしまう人たちの共通点は、少なくとも
- 困った時の頼り先がない
- 怒りのコントロールが難しい
の二つはあると思っています。もちろんその他の理由もそれぞれあると思いますが、、
例えば、皆さんなら次のような時どうしますか?
我が子は2歳の男の子。普段から手がかかる子で、ちょっと大変。
可愛いんだけど、毎日元気を吸い取られる。たまには休みたいな。と思っていた矢先、
夜泣き炸裂。抱っこをしても、歌を歌っても泣きやむどころか、声は次第に大きくなっていく。
優しくしてもダメ。放っておいてもダメ。どうしたらいいのか、、
前提として、これまでの家族とは疎遠になっており、離婚したことによりシングルで育てている状況。まさにワンオペです。頼る先はありません。
そんな中、自分ならこんなに過酷な状況をどう乗り越えていくでしょうか。
世の中の目線はこうです。
- 気持ちはわかるけど、そうなる育て方したんだよね。
- 親も親なら子も子だな
- 旦那何してんだよ。どこに消えたんだよ
私は色々な家庭を見てきましたが、そう行ったご家庭こそ、温かい声がかかりにくい事実にも直面しました。
とうとう困った親は、最後の手段に出ます。
・大声で怒鳴る。
・叩く
・現実逃避する(子を置き去りにして遊びに出ていく等)
我が子に何してんだ。救いようがないな。
【虐待】
その背景を想像したことはあるでしょうか。事実だけを見たら本当にとんでもないことです。
しかし、親もまた困っているという視点に立つことで、
未然に防げることもたくさんあると私は考えています。
私たちは、そういった方々のことを少しでも理解し、子育てをしやすい環境づくりに努めることで、みんなが協力して良い子育てを目指していけると信じています。
まとめ:共に育む未来へ
子育てをしていると、自分の限界を試される瞬間が何度もあります。
私自身、児童養護施設で親たちの悩みを聞いていた頃には理解できなかった
- 子どもが可愛く思えない
- 子育てが楽しいと思えない
という気持ちも、実際に親になって初めて少しずつ理解できるようになりました。
だからこそ、子育ての悩みを抱える人たちを責めるのではなく、支え合いの大切さを痛感しています。
「一線を超えてしまう」人と「踏みとどまる」人の違いは、
- 頼れる先があるかどうか
- 自分の怒りをコントロールできるか
かもしれません。
子育ての難しさを理解し、周囲が親たちを支える環境を作ることが、より良い子育ての基盤になると信じています。
私も、自分の未熟さに悩みながら少しずつ親として成長しようとしています。
そして、同じような悩みを抱える皆さんと共に「一人で抱え込まず、支え合いながら子育てを楽しむ未来」を目指していきたいです。
どうか皆さんも、決して自分を責めず、一歩ずつ前に進んでいきましょう。
終わり😁